2011年9月15日木曜日

『フクシマと共に9.11パレード福井』

全国各地で脱原発を訴えるデモが行われた9月11日、福井のパレードに参加してきました。
老若男女200人以上の市民が、
脱原発を願って福井市内を歩きました。

私のような県外からの参加者はごく少数派で、
ほとんどが福井県内からの参加だったようです。
福井市や越前市など嶺北から、敦賀市や美浜町など原発密集地である嶺南地方まで様々。

滋賀から来たと言うと「まあ、遠くから」という感じでしたが、
若狭の原発群までの距離は、高島市は越前市などと同等で、
むしろ、福井市より近いくらいなのです。

パレード前に、主催者・参加者のあいさつ。
長年運動をしてきた主催者の山崎隆敏さんは、
「チェルノブイリ事故直後のときには、
 福井市でのデモは私を含めて4名だったが、
 そのとき、脱原発の世論はかなり高まっていた。
 その段階で政治がきちんと方向を打ち出していたら、
 今回の福島の事故はなかったと思う。
 それから25年たつが、何も変わってこなかった。
 1日でも早く原発を止めようという活動を
 しっかりやっていくことが私達に課せられた使命。
 福井もパレードに参加できる人はほんの一部。
 実際にはこの100倍200倍の人達の声があるということを、
 福井の政治家たちにも分かってもらいたい。
 いま西川知事は、原発再稼動に慎重な立場。
 西川さんを先頭にがんばっていただきたい、
 知事を激励する意味を含めて今日のパレードをやりたい。
 今日は皆さん一人ひとりが主催者という気持ちでやりましょう。」
と呼びかけました。

パレードは終始、平和的でトラブル等なく進み、
終了後、参加者の交流の場も設けていただきました。
福井の方々の存在に勇気付けられましたが、
お話を聞くと、やはり福井で脱原発の声を上げるのは、
様々な苦労があるということも伝わってきました。

脱原発をめざす「サヨナラ原発福井ネットワーク」は、
内部被ばくの危険を訴えている放射線医学の専門家、
崎山比早子氏の講演会(9/23・24)を企画されていますが、
その同じ日に「福島県民に放射線による健康被害はない」
等と発言している札幌医科大教授・高田純氏の講演会が
別の団体によって企画されたそうです。
この高田純さんという方は、
福島の現状を「国による風評被害だ」と訴え、放射線被害を交通事故にまで例えたり、
「今こそ日本が最高の原発技術を開発できるチャンス」などと発言しているようです。
崎山さん講演会への動員がこちらに流れてしまわないか心配です。

福井では「知り合いの誰かが原発関係」という事が多いのはもちろん、
原発の安全を信じ込まされている人が多いともおっしゃっていました。
特に嶺南では、すぐそばに原発があり、あって当たり前で、
ずっと原発と共に暮らしてきているので、原発を否定されることに、
抵抗感がある人もかなり多いようです。

それでも、敦賀原発から目と鼻の先に住んでいて、
家から原発が見える、という60代前後の女性も来られていました。
「親はずっと反対していたが、少女の頃に原発ができてしまった。
 我が家は原発で何かあれば即死レベルの距離。
 今までずっと原発に怯えながら暮らしてきました。
 数年おきに美浜やもんじゅで重大な原発事故が起きる度、
 身がつまされる思いをしてきました。
 福島原発の爆発を見たときは、日本は終わったと思った。」
と語られました。
震災以前は原発問題にあまり関心がなかったことを、
彼女に対して申し訳なく思いました。

全国民の声はもちろん、福井など原発立地地域の脱原発を望む声も、
もっともっと届いて、尊重されてほしいと改めて感じた一日でした。
その為に私達ができることがあれば、やっていきたいと思います。

2011年8月21日日曜日

長谷川さんの話を聞いて

連日の報道を通じて、福島の置かれている状況の大変さは自分なりに分かっている、つもりでした。
心のどこかで「他人ごと」だったのだろう。
長谷川さんの話を聞いて、そんな浅はかな自分に気が付き落ち込みました。
・35年間続けた酪農を廃業したこと
・2ヶ月半もの間、子供たちを放射線にさらしたことへの後悔
・真実を伝えない政府やメディアに対する不信感
・長谷川さんの飯館村への愛着、郷土愛
などなど
ネットやメディアからでは伝わらない言葉の重みを痛感しました。

講演会が終わり
長谷川さんと別れの握手をしました。
大きくて本当に岩のような手でした。
自然の中で地道に生きてきた男の手でした。
「35年間積み上げてきたものが一瞬でなくなった」
彼のやりきれない気持ちを受け止める僕には、彼にかける言葉がもうありませんでした。

ただ、「伝えていくこと」はできます。
故郷を奪われるというのはこういうことなのだ、と。
二度とこんな悲しみは繰り返してはいけない。


■前半(長谷川さんお話)


■後半(トークセッション)

2011年7月6日水曜日

飯舘村の酪農家・長谷川さんのお話を聴く会

福島・飯舘村からの声
~酪農家・長谷川健一さんをお迎えして~

3月11日に東日本を襲った地震・津波、そして未だ収束の目途が立たない原発災害。
福島第一原発から約40kmの飯舘村は、村全体が計画的避難区域となりました。

長年、飯舘村で酪農を営んでこられた長谷川健一さんは、
4月末、酪農を「休止」するという苦渋の決断を下しました。

出荷制限のため、原乳を絞っては捨てざるをえない日々。
我が子同然に育ててきた牛に、十分なエサを与えることもできず、
次第にやせ細り、結局別れなければならないという現実。

テレビ等で見る飯舘村と、若狭の原発で事故が起きた場合の高島が、
重なって見える方も多いのではないでしょうか。

原発事故後に自ら撮り続けた村の映像を交えながら、
長谷川さんに飯舘村の現状や想いを語っていただきます。

自らの体験をできるだけ多くの方に直接伝えたいと、おっしゃっています。
たくさんの方のご来場をお待ちしております。


長谷川さんからのメッセージ

今、世界でも類をみない、
とんでもない原発事故が
このせまい日本の福島で起きています。 
私たちが味わった苦しみ、かなしみ、等を
ぜひ全国のみなさんに知ってほしい。 
そしてこの大事故を風化させないでほしい!!

福島県飯館村 長谷川健一

長谷川健一さん

福島県飯舘村の酪農家。58歳。
飯舘村前田地区区長。福島県酪農業協同組合理事。
大多数の住民が避難した今も村に残り、見回りを続けている。
事故後に購入したビデオカメラで村の現状を記録。
各地で自らの体験を語り始めた。
長谷川さん関連記事はこちら

【トークセッション】
ゲスト:農事組合法人 大戸洞舎(おどふらしゃ)代表・松本茂夫さん


「家も建てる農家」松本さんを迎え、
生産者の立場として長谷川さんに聞きたい事や、
マスコミでは知ることのできない福島の人々の現状などを、
会場のみなさんのご意見・ご質問も交えながら伺います。
それぞれの立場で一緒に考えてみませんか?


  • 日時 
    8月6日(土)14時30分開場、15時開始
  • 場所
    滋賀県高島市 安曇川公民館 ふじのきホール
    (安曇川ふれあいセンター内)

    JR湖西線「安曇川」(あどがわ)駅徒歩10分/駐車場有
  • 参加費 500円(高校生以下無料)
    *交通費・謝礼の為のカンパもご協力いただければ幸いです。


京都・三条でも8月7日(日)に開催。詳細はこちら。



2011年6月22日水曜日

高島市議会の脱原発に関する質問を傍聴しました

高島市議会定例会の一般質問が20日から始まりました。
脱原発と自然エネルギーについての質問があると聞き、昨日21日に傍聴に行ってきました。

質問に立ったのは福井節子議員で、テーマは「脱原発へ太陽光発電の普及を進めるために」です。
以下、大まかな概要です。

2011年6月21日火曜日

高島市ホームページで市内5箇所の線量測定結果を発表

県の環境モニタリング車が6/20に
高島市内5箇所で放射線量測定を行った結果が
高島市ホームページで発表されました。

これまでは県のホームページで公表されていましたが、
市のホームページからも閲覧できるようになったものです。
市内の測定箇所は、従来の2箇所(マキノと今津)から
5箇所に増えています。

もんじゅ落下装置引き抜き作業、23日(木)か

産経ニュースは、高速増殖炉「もんじゅ」の落下装置の引き抜き作業が、今週木曜(23日)にも行われる方針と報じています。
MSN産経ニュース/もんじゅ 落下装置、23日にも引き抜き 福井

■炉内中継装置落下事故とは

もんじゅでは昨年8月、核燃料交換時に使う「炉内中継装置」(重さ約3トン)が吊り上げ作業中にクレーンから外れ、原子炉容器へ落下する事故が起きました。
以後、24回以上の引き上げ作業が試みられたものの失敗し、いまだ取り出せていません。
現状、燃料の交換も取り出しもできない状況となっており、復旧作業の責任者が自殺するほど深刻な事態に。発電量は0にもかかわらず、毎日5,500万円の維持費(税金)がかかっていると言われています。

2011年6月15日水曜日

パレード後の意見交換

11日のパレード後、残られた方で場所を移して
原発を巡る状況や今後の活動について、
フリートークで意見交換を行いました。

■福島からいらした安藤さんを中心に、福島の現状について

  • 農業をしているのでできれば福島に残りたいが、
    住み続けるか、避難するかの選択を迫られ、
    家族とも話を重ねている。
  • 避難したくても仕事の関係などで移れない人も多いし、
    一度避難したらもう戻れない可能性もある。
    単純に危ないから避難と言うのは難しい実態がある。
  • 福島県の方に対する心無い差別について。

2011年6月14日火曜日

なんかすっきりした(ふくい)

みなさま、パレードお疲れさまでした。
天気予報に反して雨にも降られず、ほんまガッツポーズものでした。
「今までのデモとはちがって、楽しかった」なんてお言葉も参加者の方からいただき
僕達の目指していた表現が悪くはなかったのかなあ、と考えております。

準備期間中、いろいろな人にまず聞かれたのが
「どこかの政党関係の集まり?」
「政治的な活動?」
ってこと。

逆に聞きたい。
「左やったらあかんの?」
「宗教的やったらあかんの?」